かどまの民話「おさの狐」

更新日:2019年10月31日

むかし、門真の柳町に高橋と呼ばれる小さな橋があった。その橋のかげにおさの狐と言って、ちょっかいばかりだす狐が住んどった。
普通の野狐は夜出歩くことが多いのに、このおさの狐はまっ昼間から人間の物を横取りして悪さばかりしておった。
ある日の事、守口方面から豆腐や油あげをぎょうさん車に積んだ男がこの高橋に差しかかった。と、ちょうどその時向こう岸からごっついべっぴんさんが手にざるを下げてやって来た。
「すんまへん。わてにその豆腐と油げを下さいな。」
「毎度おおきに。」
男は、愛想よく豆腐と油あげをわたし、小銭を受け取り次の村へと商いにいった。夕方になり男は酒でも買うて帰ろうかと思い財布を開けた。すると中に、いくつかの蜆貝(しじみがい)が混じっていた。男は不思議に思い、今日一日の売上げを調べてみた。すると高橋でもろうた小銭と蜆貝の数がぴったりおんなじやった。

キツネのイラスト

次の日、男はまた車を引いて高橋に差しかかると、昨日のべっぴんさんがやってきて、 「すんまへん。わてにその豆腐と油げを売って下さいな。」
「毎度おおきに。」
男は豆腐と油あげを渡し、小銭を受け取りふと思った。
「ひょっとしたら蜆貝かも知れへん。小銭かどうか試して見よう。」
もろうた小銭を落としたふりして手から放してみた。何のことはない確かにお金の音がした。
「やれやれ。」
男は安心して財布にしまうと次の村へと行った。
一日の商いも終わり男は財布を開けてびっくりしてもうた。またまた蜆貝がはいっとった。
「やっぱり高橋で会うた女はあのおさ狐に違いない。」
こういうことが何度も続くと、男はもう高橋を通らず他の道を通って商いに行くことにしたそうな。そうすると今度はおさの狐のほうがまちぼうけを食ってしまった。

やがて明治の終わりに、この高橋の横にも鉄橋が掛かり電車が通るようになって轟音で騒がしくなると、さすがのおさの狐も困ってしまい、とうとう信太山(しのだやま)へ移ってしまったということや。

出典

門真市PTA協議会母親代表委員会(平成14年度)『かどまの民話』

この記事に関するお問い合わせ先

市民文化部 生涯学習課 歴史資料館
〒571-0041 大阪府門真市柳町11-1
電話06-6908-8840
メールフォームによるお問い合わせ