普賢寺遺跡発掘調査情報
旧第一中学校跡地の埋蔵文化財の発掘(普賢寺遺跡)
発掘調査の様子
普賢寺遺跡は京阪電鉄古川橋駅北側に広がる遺跡です。これまでの発掘調査で、様々な土器や埴輪、瓦などが見つかっています。今回、門真市幸福東土地区画整理事業に伴い、令和2(2020)年6月から令和3(2021)年3月まで発掘調査を実施します。調査はまだ始まったばかりですが、今後の発掘情報についてはこのページで報告します。
重機掘削開始です。(6月25日撮影)
令和2(2020)年7月28日
普賢寺遺跡の発掘調査がいよいよ始まりました。今回調査地は京阪電鉄古川橋駅北側すぐにある旧門真市立第一中学校の跡地です。発掘調査の始めは重機を使って表面の土を丁寧に剥いでいきます。写真の手前の凸凹は昔の学校の建物の跡です。担当者の見つめる中、慎重に掘削を進めていきます。これから何が出てくるのかお楽しみに!
土器の破片が見えています。(7月1日撮影)
令和2(2020)年7月29日
慎重に重機掘削を進めていくと、チラホラと土器の破片が見えてきます。このように土器などが含まれる層を遺物包含層といいます。この層からは人力による掘削になります。
土はベルトコンベアーで外へ出します。(7月17日撮影)
令和2(2020)年8月4日
遺物包含層の掘削はシャベルを使って人力で行います。そのため多くの作業員が必要になってきます。土の中に遺物が入っているため、より慎重に作業を進めなくてはなりません。いよいよ夏本番ですが、発掘もどんどん進んでいきます。
土の色が違うところをマーキングします。(7月17日撮影)
令和2(2020)年8月6日
遺物包含層を掘削すると、遺構面が顔を出してきます。遺構とは地面に残された人間の生活の痕跡です。遺構の埋土は周辺の土と色や感触が微妙に違うので慎重に土を削っていくと、多くの遺構が検出されてきます。写真のように周辺と色の違う部分を石灰でマーキングして、遺構の掘削の準備を進めていきます。遺構には、溝や土坑など様々な種類がありますので、これらを検討していくと遺跡の性格が段々と明らかになっていきます。
出土した遺物を記録します。(7月17日撮影)
令和2(2020)年8月7日
調査区の東端から大きな溝が検出されました。溝を掘削すると埴輪と須恵器がひとまとまりで出土しました。中々、面白い形の埴輪のようですので、復元後が楽しみです。このように色々な種類の遺物が一括で出土すると、遺物の埋められた時期及び遺構の性格を検討する重要な資料になります。
半分だけ掘削しています。(7月29日撮影)
令和2(2020)年8月12日
調査区南側の大きな土坑を掘削すると、中央から木製の井戸が検出されました。残された木材の状態が非常に良好なので、新しい時期の井戸かと思われるかもしれませんが、井戸の中からでてくる土器は中世のものです。昔は井戸の設置から埋められるまで様々な祭祀が行われたようです。井戸から出土する遺物を調べると、いつどのような祭祀がおこなわれたか考えることができます。
この上に柱が建てられていたと考えられます。(8月17日撮影)
令和2(2020)年8月18日
調査区南側の小さな土坑群を掘削すると、いくつかから、石や板材が検出されました。これらは、掘立柱の根石や礎板と考えられます。掘立柱を低湿地など軟弱な地盤に建てる場合には、沈下防止のために、このような基礎固めが行われます。柱穴と考えられる土坑の配置を検討すると、どのような掘立柱建物であったかを復元する手がかりとなります。
綺麗に掘りあがりました。(7月31日撮影)
令和2(2020)年8月19日
8月7日の記事で紹介した溝を完掘しました。大きく弧を描くように調査区東側へ伸びているので、全体像は未だよくわかりませんが、幅5m以上の大きな溝です。溝の中からは、埴輪や須恵器のほかに中世土器なども出土しました。これから掘削する隣の調査区に伸びているので、溝の全容が明らかになるのは、まだ先になりそうです。
直射日光を避けるため重装備です。(8月18日撮影)
令和2(2020)年8月20日
お盆休みも終わり発掘調査も再開しましたが、相変わらず猛暑が続いています。この日の大阪の気温は37度!人間の体温以上の暑さの中でも現場は着々と進んでいきます。現在調査中の地区は今月で終了予定ですので、いよいよ、残された遺構の完掘に向かいます。
天気に恵まれ、いい写真が撮れました。(8月20日撮影)
令和2(2020)年8月21日
現在調査中の地区(第4区)の遺構掘削が、一通り終了したので、全景写真を撮影しました。写真は、高所作業車を使って10m以上の高さから撮影します。この写真は報告書等に使われる大変重要な記録写真ですので、撮影は慎重に行いました。撮影前に調査区を全面清掃して、余計なものが写らないようにします。酷暑の中、作業員さんの苦労に頭が下がります。撮影した全景写真は次回公開します。
南東から撮影した第4区全景写真です。(8月20日撮影)
令和2(2020)年8月25日
前回、紹介した第4区の全景写真です。この調査区は約1460平方メートルありますが、写真でみると、あらためてその大きさに驚かされます!!中央の木製井戸が目立ってますね。東側の溝のカーブもよくわかります。北側が昔の校舎によって撹乱をうけていることも確認できます。第4区からはコンテナ約30箱の遺物が出土しました。古墳時代の土器や埴輪のほかに中世の土器や瓦が多く出土しています。
桶の残存状況も良好でした。(8月20日撮影)
令和2(2020)年8月27日
全景写真の撮影が終わると、補足調査に入ります。8月12日の記事で紹介した井戸も下まで掘り下げて完掘しました。井戸の最下部には湧水を溜めるための「水溜」として木桶が用いられていることが確認できました。第4区では井戸が4箇所見つかっていますが、そのうち3箇所は調査区南側の約10m圏内の中に掘られています。3箇所とも写真のように板材で枠が作られた方形の井戸で、中から中世の土器が多く見つかりました。ほぼ同じ時期に極めて近距離に立派な造りの井戸が複数掘られているのは何故なのか?ここに何があったのか?謎は深まるばかりです。
次回第3区いきます。(8月27日撮影)
令和2(2020)年9月1日
9月に入りましたが、まだまだ残暑厳しい毎日です。8月で第4区の調査は終了し、東側の溝を残して西側から埋め戻しを始めました。発掘した遺跡はどうなるのか?という質問を受けることがありますが、多くはこのように調査後に埋め戻されてしまいます。そのため、発掘調査は1回限りの真剣勝負なのです。
普賢寺遺跡現地調査が終了しました。
金銅製密教法具の蓋です。
令和3(2021)年3月15日
現地調査が終了しました。今回の調査では多くの埴輪や土器のほか、鬼瓦を含む多数の中世瓦や、金銅製の密教法具が出土しました。そのためこれまでの調査と同じく、かつてこの地に大規模な寺院が存在したことを窺わせる結果になりました。特に今回出土した金銅製密教法具の蓋は、昭和59年に発見された大阪府指定有形文化財の密教法具と同様のものと考えられる大変貴重な美術工芸品です。
大型掘立柱建物跡です。
調査地の北部と南部からは掘立柱建物跡が一棟ずつ見つかっており、特に南部で見つかった平安時代後期から鎌倉時代の建物跡は、東西9間以上もあり、北面と南面には廂も設けられている立派な建物であったようです。しかし、寺院の建物に見られるような基壇や礎石がなく、「普賢寺」と関係のある建築物であったかは判断できません。
中央の溝は古墳の周溝の可能性があります。
さらに、調査地のほぼ中央に蛇行する幅の広い溝が見つかりました。溝からは多くの埴輪と土器がまとまって出土していることから、溝の一部はもともと古墳を廻っていた周溝だったのではないかと考えられます。
調査では多くの発見がありました。
今回の調査面積は約6,100平方メートルと広大であったため、調査区を9分割し、3月に現地調査を終了しました。これからは、発掘調査報告書作成に向けて整理作業が始まります。なお、新型コロナウィルス感染拡大防止のため一般向けの現地説明会は開催しませんでした。発掘調査成果は、令和4(2022)年6月1日~7月31日まで門真市立歴史資料館で開催する特別展「普賢寺遺跡発掘調査展」にて報告いたします。
この記事に関するお問い合わせ先
市民文化部 生涯学習課 歴史資料館
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更新日:2023年06月13日