校長雑記

更新日:2023年06月09日

6月8日 木曜日

おかげさまで

運動会ができたことを本当にうれしく思います。土曜日に運動会を終えて、日曜日にニュースを見ていると、この時の雨でたいへんな思いをしている地域もたくさんあることを知りました。わたしが以前に勤めていた岡崎市もボランティアの人が復興作業をしているというニュースが流れていました。火曜日に出勤すると、ある先生が「運動会できてうれしかったですけど、この台風で大変な思いをされている方もたくさんいるから・・・」と話をしていました。そのような台風だったのに、予定通り運動会を実施できたことに深く感謝します。

それにしても前日の雨はすごかった。砂子小学校に勤めてから、砂子通りが川のようになったことはありません。体育館から校舎に戻ることができないほど水であふれていました。ボランティアの土川先生がざら板を運んで即席の橋を架けてくださいました。給食棟に行くのにも、水が流れています。そこにも橋ができました。

一番雨が強かったとき、プレハブの工事の人が、運動場にポンプをつけてくれました。ポンプに集まった雨を川に流すようにしてくれたのです。

教頭先生は、雨の中上着を着て外に出ていきました。運動場に水が流れやすくなるような溝を掘ってくれました。

明日は無理かも知れないなと思っていましたが、教室や体育館では、運動会の練習をしている元気な声が聞こえてきます。

職員室では、次の日、スポンジも使って運動場の水を吸い取ろうと、スポンジを切ってくれたり、吸い取った雨水を入れるためのバケツを用意したり、できる準備をしていました。

朝、6時40分頃、わたしが学校に着くと、もう運動場では、水をぬく作業をしている先生が何人もいます。すぐに、ミマモルメとホームページの更新をするとすぐに電話がかかってきました。

「今から、手伝いに行きます」

保護者の方からでした。とてもうれしくてすぐに、運動場の先生たちにも報告に行きました。後で聞いた話ですが、その時間にm運動場の様子が気になって地域の方も学校まで見に来てくださっていたそうです。

たくさんの保護者の方にも声をかけていただいて、先生たちもどんどん出勤してきて、運動場の整備に取りかかりました。

いつものように、門で子どもたちをむかえることができませんでしたが、元気に登校してきてくれました。

なんとか、予定通り開会式には間にあいそうなめどがつきました。

子どもたちが教室で健康観察をして、椅子を持って運動場にくるまで、ぎりぎりまでテントをおくことを待ちました。子どもたちの座る場所の土が少しでもかわくようにぎりぎりまで待ちました。テントを動かす。とばないようにくいを打ちこむ。この作業も保護者の方がやってくださいました。

そして運動会の開会式。たくさんの保護者の方、来賓の皆様が来てくださいました。

保護者の方から「先生、運動会やってくれてありがとう」と声をかけていただけました。

でも、運動会の実施を決めるのも、わたしだけの判断ではありません。運動会を担当する先生がいます。その先生たちや教頭先生とも何度も相談をします。

脇田小学校も同じ日に運動会を計画していたので、脇田小学校とも連絡を取り合って決めました。

運動会を終えた後も、PTAの本部さんをはじめ保護者の方が片付けまで手伝ってくださいました。

運動会を無事終えて、心から、多くの方の「砂子愛」を感じています。みなさまのおかげで、運動会を実施することができたのだなぁと心から感謝しています。

 

自然は、人間にはコントロールできません。大雨も台風も動かす力はないけれど、今までだったら、とても運動場がぐしゃぐしゃで、運動会どころではなかったけれど、運動場の状態をよい状態にできたのは、人の力です。

日ごろは雨が止んでもしばらくは運動場で遊ぶことができません。運動場がぼこぼこしてしまうから、水が引くまで待ちましょうと、子どもたちもずいぶん我慢をしてきました。そのかいもあって運動場の復活が早くなったのかもしれません。

子どもたちにも、お天気がよくなったから運動会ができた。という単純なことではなく、それが当たり前ではないことを、わかっていてほしいなと思います。運動会の種目の中でよく「力をあわせて」ということばを使いますが、今回の運動会すべてが力を合わせてだったことも伝えることも大切だと思っています。

 

5月29日 月曜日

顔を見て話すことの大切さ

先日、校長室にいると、ろうかでなにやら大きな声が聞こえてきます。

「だから、わたしは、いややって」

「なんで、なんでいやなん?」

「だって、はじめからそれはやりたくないって言ったやん。違う方がおもしろいんちゃう?」

何の話をしているのかよくわかりませんでしたが、少し強い口調です。しばらく、様子をみようと、校長室で耳をすましていました。

「なあなあ、二人の話、聞いてたけどさ。そんなふうに強く言ったら、けんかにやるやん。いきなりおこるから、いややってなるやん。でもな、みんながいややって言ったらどうするん。みんなこまるとおもうで。」

二人がなにやらもめていますが、どうしていやなのか、おたがいの考えを言葉にして話しています。それを見ていたともだちが、自分の考えを話しながら仲裁に入っています。

結局、3人で話をしながら教室にむかっていったので、その後どうなったのかわたしにはわかりませんが、とても感心しました。

自分と違う考えの人のことをかげで悪口を言ったり、SNSで後から意見を言うのも感心しません。大きなトラブルになってしまいます。

昨年度から、前校長の満永先生がよく話して下さっていました。「フェイス トゥ フェイス 言いにくいことほど顔を見て」とても大切なことです。互いの意見がきちんといえる関係、ずっと大切にしていってほしいと思います。

 

5月17日(水曜日)

PTA活動

PTAは任意団体です。それぞれの学校ごとで作る、保護者と教職員による社会教育団体です。本校では、PTAの方の協力により、子どもたちが楽しく過ごせています。ロビーの掲示もとても楽しみにしています。先日は、1年生の子が、「七夕やるのかな?」「笹くる?」と聞きに来ました。他校のが砂子小にくると、ロビーをみておどろきます。先日きた東小の子もこいのぼりにびっくりしていました。それに、運動会の賞品や、クリスマスプレゼントなど、子どもが喜ぶことがたくさんです。

私の母も、私が小学生のころPTAの役員をしていました。いつも学校にお母さんが来るのでとてもうれしかったです。母は、PTAの役員が終わってからも、そのときの本部さんたちと仲がよくずっとおつきあいをしています。その仲間の一人が先日なくなったと、肩を落としていました。四十年以上もずっと連絡を取り合っていました。私たち兄弟が中学生や高校生のころは、いろいろ情報交かんをしていたようです。もう少し大きくなってからは、一緒に旅行に行ったりしていました。たまたま気の合う人とPTA活動が出来たのはとても楽しかったようです。

砂子小学校の本部会議や実行委員会のなかで、いろいろなことを相談しました。通学路のこと、登校班のこと、運動会のことなど、直接、あれやこれや意見を言えてよかったと感想をもらいました。話し合いの中で、PTAの実行委員会も、毎月やるのはしんどいから必要な月だけ集まるようにしました。これから、砂子小学校も大きく変わります。同じしき地に脇田小学校がきます。そんな中でも、子どもが楽しくいきいきと学校に来ることが出来るように、PTAとして《教職員もメンバーです》子どもたちを支えていきたいなと思います。

お家の人にハートの応えん旗を、おわたししています。少しずつ集まってきました。

お子様に向けてメッセージをお願いします。

 

 

5月15日(月曜日)

図工の作品づくり

先週、3年生の子が校長室を訪ねてきました。ビニールぶくろに色のついた紙が入っています。

「先生、これ、図工の時間につくってん。これな、手あげてるところが気に入ってる。」

図工の時間に作った作品を見せにきてくれました。どんな工夫をして、どこが気に入っているかをくわしく説明してくれています。そのときに、また、続きを作る時間があるというので、今日、教室を訪ねてみました。

給食の時間に、のぞいて、図工の作品のことは何も話していなかったけれど、先日とは違う子が、作品を持ってきます。

「ほら、これ、ここがきにいってる。かわいいでしょ。」

その子が話終わらないうちに、

「おれはな、ここがすきやねん。先生みててやほら。」

ビニールぶくろを手できゅっと握ると、中の空気が動いて、作品の顔が動くのです。

下を向いていた人の名前を呼んだときのように、さっと顔を上げるのです。それをやって見せてくれました。その後も、次からつぎへ、作品を持ってきます。

自分の作品に自身を持っているところ。

自分の作品の好きなところを、言葉にも表しているところ。

作品を作っていく中で、ぐう然のおもしろさを見つけたところ。

自分が作りたいイメージを工夫して表したところ。

みんな大切なことです。ビニールぶくろの中に紙を入れて、そこから発想を広げていく。子どもたちの大好きな課題です。

門真市の市民プラザに、シュレッダーの紙を使った作品がありました。今度は子どもたちに、その作品を紹介しようと思います。

 

 

5月9日(火曜日)

「なんで?」

南河内の小学校の校長をしている友人が、「今年のテーマは、なぁ、」と話しかけてきました。「なんで?」がテーマだそうだ。どんなことに対しても疑問を持ってその疑問を自分で調べて解決することを大切にしたい。と話してくれました。なるほどなぁ。うまいこというなぁ。

私は、子どものころ、歯医者を「出禁」になったことがある。出入り禁止になりました。歯医者にあるものすべてが気になって、「これは何?」「だれが考えた?」とずっと、尋ねていたらもう来ないでくださいと言われてしまいました。そのころ私は、「まんがはじめてものがたり」という番組が好きで、だれが考えた、とか、どうやって始まったとかがわかることがとてもうれしくてすきでした。「はじめて考えた」「はじめて成功させた」先人たちが気になって仕方がありませんでした。家でも同じように聞くから、親から「伝記」を読むとわかるんじゃない」と言われ、片っぱしから伝記を読みました。エジソンやベイブルース、ライト兄弟など・・・。この先人たちも、「なんで?」とか「どうして?」がないと、いろんなことは、なしとげることが出来な思います思います。

大人になって、「なんで?」「どうして?」を聞かれると、ついつい自分が答えてしまうこともあるけど、次からは、「調べてごらん」とか「どうしてだと思う?」と、聞いてみることにしようと思います。

好奇心旺盛だったあのころのように。私も「何で?」を大切にしていこうと思います。

 

 

 

5月2日(火曜日)

学ぶことの意味

「勉強しなさい」「宿題やりなさい」と言われれば言われるほどやる気をなくす子どもでした。言われたとたん、えん筆をほうり出して、ぼうとしてました。でも、何でやらないといけないのか、何のためにやるのかわかれば、勉強をする気持ちになるものです。

少し、話は変わりますが、私は中学校で美術を教えていました。美術破入試科目ではないので、「副教科」と呼ばれることがありました。時には、好きな教科を聞かれたら(入試の面接で)副教科は言わない方がいい。という人までいました。

入試科目でないと、どうでもよい教科なのか・・・。授業の時間も、年間で35時間一週間に1度しかない美術の時間。少ないからやはりどうでもいい時間なのでしょうか。

よく美術の時間に話したことは、生活する中で、とても必要な科目だと思うよ。

「海外旅行に行ったら、ルーブル美術館に行きたいとか、大英博物館に行きたいとか、美術館や博物館に行くことがあるよね。なんでだろ。そのときに、ちょっとだけ作品のことを知ってたり、作者の名前がわかったらステキよね。」

「色の学習ってどんなところで役に立つと思う?」

「レストランでもどこでも、食事をするときにも、見た目は大切よね」

「ポスターを作るときには、色のイメージが大切だよね」

「花束も色の組み合わせをかんがえる」

「服を選ぶ時も、形も色も大切だね。」

「どんな仕事でも、色を考えたり、形を考えたリって大切だよね」

家で洋服を着るにも、インテリアを整えるのも、仕事をするのも、お料理を作るのも美術の要素は不可欠なことに気づくと、顔つきがふわっと変わります。

図画工作や美術の時間に本物そっくりに描く技術を学ぶ必要はありません。あれやこれや工夫する中で、きれいだな楽しいなと感じることが大切なのです。

楽しいと感じたら、次々、創造が広がりどんどん作品作りも広がります。

決して受験科目ではないけれど、ロダンやピカソやゴッホの作品のことを知ることは、絵の見方や感じ方を学ぶことになります。この見方や感じ方は一人ひとり違うのだけど、どれをみる人に伝わるように表現する作者の思いをうけとる。

ことばだけではない、人と人との関わりも学ぶことができるのです。

創造する力や感性は、多くの経験や多くの作品との出会いで高くなります。より豊かな人生が送れると思うのです。

どんな学習にも必ず、学ぶことの意味があります。どうして学ぶのか、どんな力をつけるためなのかも子どもに伝えて行きたいと思います。

 

(学習指導要領 美術科の目標)

表現および観賞のはば広い活動を通して、美術の創造活動の喜びを味わい美術を愛好する心情を育てるとともに、感性を豊かにし、美術の基礎的な能力を伸ばし、美術文化についての理解を深め豊かな情操を養う。

 

 

 

4月21日(金曜日)

スラムダンクをみて

ニュースを見ていると、中国でも映画スラムダンクが始まって、とても人気だと言っていました。私も日本で公開されて、すぐに見に行きました。高校のバスケット部が全国制覇をめざしていくお話しです。私も、この映画をみながらいろいろ思い出して涙していました。

私は、愛知県で16年間教師をしていました。中学校の美術の教師として。部活は、バレーボール部の顧問でした。でも、バレーボールはできません。もう一人の顧問の先生と当時の校長先生がバレーボールの指導をしていました。私は、保護者との連絡ががり兼マネージャー兼応援団長といったところです。

その中学校は荒れていました。校内でも校外でも、いろいろなトラブルが起こります。その学校に赴任して、その年から、学校の変革をしようといろいろな計画を立てました。子どものもつエネルギーを部活や学校行事に向けさせよう。授業も、思いっきり楽しい授業をしよう。と奮とうします。当時は全員入部制でした、部室にたまっているだけの部活も帰宅部員ばかりの部活もありましたが、勝つ喜びを味わわせるために練習の工夫をします。夏休みに行われた夏期の市長杯に向けて一生けん命練習しました。そのとき、まだ美術部の顧問だった私は、全部の試合会場に行って応援をしました。今まで、練習試合も断られて、試合経験のあまりない子どもたちが、勝ちます。勝てば、次の練習にも気合いが入ります。サッカー部は市長杯で優勝をしました。バスケット部は準優勝。市長杯の総合優勝をその年、もらうことができました。全校生徒に(700人くらい)小さな乳酸菌飲料を配って、全校で乾杯をしました。こうなると、部活にも力が入ります。3年生が引退した後の2年生の気合いの入り方が違ってきました。でも、その中でも思うようにいかず、部活をさぼり出す子もいました。

いよいよ私の出番です。身体能力が高くて、エネルギーを持て余している子をバレーボール部にスカウトに動きます。(バレーボールがおもしろくて、芸術文化部が終わると、バレー部に行っていました。)野球部のAをスカウトしました。

なにも話しません。本当に仲のよい子とだけ話します。私とは少し話ができました。後で、その子の友だちが、「先生と話したとこ、初めてみたわ」とこっそり言いに来ました。

バレーをやっていく仲でぐんぐん力を伸ばしていきます。ジャンプサーブも難なくこなし、スパイクもものすごいいりょくで打ちこみます。

でも、今までいたメンバーとは、うまくいくのか・・・・。

身長が192センチの子もいました。でも彼は、バレーよりもどちらかと言えば音楽の好きな子でした。まじめでとても勉強もよくしました。

背はそんなに大きくないけど、セッターとして活躍した子がいました。キャプテンは、素っ気なく見えるけど、とても熱い子でした。

みんなで、強いチームなろうと練習はするけれど、けんかもするし、キャプテンが、急に部活を休んで、だれも理由がわからない日があるし、そんなキャプテンのことを理解できないと、ブツブツ言うこもいるし・・・・・・。順風満帆のチームではありませんでした。

でも、キャプテンが、「このチームだからがんばれる。このチームだから、バレーが好きになった。」と話していました。だんだん、気持ちが一つになっていきました。Aも、だんだん、みんなと楽しそうに話をする場面が多くなりました。

引退をするとき、このチームは、市の大会を勝ちあがって、地区大会で終わってしまったと思います。結果はあまり思い出せないけど、練習していた毎日のことは、ずっと覚えています。

 

バレーが好きなのは、仲間が好きなんだ。この仲間だから、バレーが好きなんだ。

 

スラムダンクをみて、この時のバレー部と重なってしまうのです。

(次の年、その次の年とメンバーがかわって、このバレー部は全国大会に出場をします。そこでもまた、いろいろ、重なる部分はあるのですが・・・・・・・)

 

 

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